株式会社ホーリーツリー代表
山中シゲノブです。
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。」
とは新約聖書4福音書の一つ「ルカによる副音書6章37節」の言葉となります。
価値観の違うもの同士が混在しているのがこの世界です。
あなたの「正解」があの人の「正解」ではありません。
ではなぜ人はあれほどまでに他人のことを気にするのでしょうか。
かもしれば、相手にとって「おせっかい」かもしれないアドバイスまでするのでしょう。
それは
『自分自身が満たされていない』
ことに自覚症状がないからです。
第3者を気遣うことで自分に対する『欠乏感』を満たしているような錯覚に陥ります。
これがまやかしの【自己満足】となります。
僕はある時に気がつきました。
自分の「正解」を他人に当てはめる必要性が1ミリもないことにです。
これが僕の
『ジャッジしない』
のベースにもなりますし
また、第3者から何を言われようが
『しらんがな、、、』
にも繋がってきます。
自分が満たされていないということを認めるのはさぞかし勇気がいり怖いことかもしれません。
しかしそこからスタートしないといつまでたっても状況は変わらないものです。
偽りの世界を演出しても自分自身は気がついているはずです。
僕は思います。
もうそろそろ、自分を大切にしてもいいんじゃないか、、、と。
「思いやり」をばらまくならそのほんの少しでも自分自身を大事にしてきましょう。
「価値観」の違う思いやりは表現を変えると『裁いている』ことと同じになります。
そして得てしてそんな状況のときは『裁かれる』状況がやってきて苦しむものです。
あなたを嫌いになる人がいても怖がる必要はありません。
なぜなら同じくらいにあなたを大切に思ってくれている人がいるはずだからです。
ただ自分ではその存在に気がついていないだけなのです。
明日が人生最後の日なら、もっと自分を大切にできるはずです。
ではどうしたらいいのか。。。
簡単なことです。
小さな子供の真似をするだけでいいのです。
彼ら彼女らは間違いなく自分を一番大切にして生きている素晴らしいお手本だからです。