ココシャネルの世界観とは

 

「選択」は「芸術」である。

ゆえに、ファッションも芸術たりえる。

何かを選ぶというその根拠は、その人の個性に依存している。

何を食べて、どこに住んで、何を着て、何を買うのか。

 

「芸術鑑賞とは、ウィンドウショッピングのようなもの」ということを言っている方がいて、とても「なるほど」感がある。すごくわかりやすい例え。休日の午後、渋谷の街で買い物をしているところを想像してほしいのだけど、たくさんある服屋さんをフラフラと眺めて回ったとして、目にした服すべてが「これいい!ほしい!着たい!」となることは(おそらく)なくて、「お、いいな」と感じるような服は全体の中のほんの少し。

 

芸術鑑賞(この場合は美術館での)も、いわゆる「わからない作品がある」のは当然であって、それはショッピングで自分がほしい服がないのと同じであって、それでも時々「お、いいな」と感じられる作品と出会えるあの瞬間があって。芸術(特に絵画や彫刻)に対してものすごい感動(感動して泣くとか)を求める人がいるけど、それは正直ちょっと難しい。

 

けど、その小さな感動ともいえる、「お、いいな」と思えるあの瞬間こそが、「自分」という感性が「ここにいるよ」と小さな声でささやくようなあの瞬間こそが、感極まって泣くという大きくて激しい情動と同じくらい、あるいはそれ以上に、人生において大切な時間なのかもしれない。

 

さて、話を戻すと(笑)「お、いいな」と感じた服の積み重ねが、あなたの個性となる。だから、「選択」は「芸術」なのである。

 

「これいい、これダメ、これダサい、これ最高にクール」とかとか。

僕らは今、お店で売られている服の中から好きなモノを選ぶ。

しかし、この世界には時々、既存の服では満足できない人たちが現れる。

 

そして、そういう人たちは得てして、自分にとって「お、いいな」と感じる服を自ら作って売って、それらを世界中で席巻させ、人々の価値観すらも変えてしまう、あるいは覆してしまうことがある。

 

それが例えば、ココ・シャネルという人だった。

 

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映画『ココ・アヴァン・シャネル』を(オドレイ・トトゥが好きで)観て以来、あるいは若手ファッションデザイナーさんからファッションについてお話を伺ったときから、彼女の湧き上がる核心とその力強い波及力に関心があった。ココ・シャネルは、SF作家・伊藤計劃が提案する「世界精神(ヴェルト・ガイスト)型」の人間である。(ダークナイトの奇跡 – 伊藤計劃:第弐位相

 

世界に認識の変革を迫るヴィジョンを演出することで、ある事物の本質を抉り出すことそのものを目的とし、どんな現世利益的な欲も動機や目的にはしない、そんな悪役。世界を支配するのでもなく、政治的な目標を達成するのでもなく、金をもうけるのでもなく、ただある世界観を「われわれ」の世界観に暴力的に上書きする時間を演出する、それだけを目的とした悪役たち。それが「世界精神(ヴェルト・ガイスト)型」の悪役(というか、敵役、と言ったほうがいいのかもね)だ。

 

伊藤計劃の言葉を少々僕好みに変換しているけれど(ココ・シャネルはお金儲け大好き)、それは「ただある世界観を【われわれ】の世界観に暴力的に上書きする」ような存在であり、それが「世界精神(ヴェルト・ガイスト)型」であり、僕はここに芸術家の存在を重ね合わせている。

 

ココ・シャネルの世界観とは何か?

 

それは、いわゆる「シック」とか「エレガント」とか「実用主義」とか、そういう風に言われている。

 

あるいは、それは「女性の自立」だったのかもしれない。これらがココ・シャネルにとっての核心であり、個性だ。ココ・シャネルが生きた時代は2度の大戦を引き起こした20世紀で、生まれたのはベル・エポック(良き時代)と言われた時代のフランス。産業革命の恩恵によって経済は上向き、1900年には第5回パリ万国博覧会が開催されるなどフランスの絶頂期だった。

 

一方で、ココ・シャネルはフランス・ソミュールの救済病院で生まれ、12歳までに母親は病死し、父親は逃げた。子供時代を孤児院で過ごしたココ・シャネル(当時はガブリエル・シャネル)は貧乏だった。18歳のときには修道会の寄宿学校に入学するが、学校では金持ちと貧乏人の格差を痛感することになる。質素な食事、暖房のない部屋、粗悪な服。「個性」というモノは、生まれてからこれまでの経験によって決まると僕は思っていて、そうであるならば、「シック」という概念に固執したココ・シャネルの個性にも納得感がある。寄宿学校で裁縫の仕事をすることで、服をつくる能力も身につけることができた。

 

1900年代に入り、ココ・シャネルの「シック」という正義が、既存の世界を、価値観を、怒涛の大波がすべてを飲み込むがごとく侵食を開始する。

1900年代のココ・シャネルは、昼間は裁縫の仕事をして、夜はキャバレーの歌い手として活躍していた。そこで知り合ったエティエンヌ・バルサンというお金持ちによって上級階級への仲間入りを果たす。

 

そこでの女性たちは、豊かな胸を強調するためにウェストをコルセットで締め付け、官能的にヒップのラインを膨らませ、そしてフランスの繁栄を象徴するようなきらびやかな装飾で衣服や帽子を着飾っていた。それが正義だった。男性たちを楽しませるための存在でしかなかったとも言える。

 

 

(映画『ココ・アヴァン・シャネル』のワンシーンより)

 

前時代のファッションデザイナー・ポール・ポワレのごてごてとした装飾過多に対して、ココ・シャネルは「シック」と「機能美」を追求した。(ココ・シャネルはコルセットから女性を解放したと言われるが、それはポワレの偉業とも)必要最低限の装飾が施された帽子を皮切りに、動きやすく機能的な男性服のデザインを採用したり、ゆったりとした着心地のよい服を作り出した。

 

特に、ココ・シャネルの「リトルブラックドレス」は有名だ。

 

贅沢とは感じるべきもの byココ・シャネル

 

というココ・シャネルの哲学にもあるように、彼女は見た目ではなく着心地(機能美)を重視していた。また、美しさとは内側からにじみ出るものであり、そのためには精神の解放、つまりゆったりとした着心地の服を身にまとう必要があると考えていたようだ。

 

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にしても、むちゃくちゃかっこいいな、ココ・シャネル。

 

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あのオードリー・ヘップバーンも。

 

一歩間違えれば「貧乏臭い」シックを、ここまで「エレガント」に変えたのはココ・シャネルの成せる技術の賜物。今でも「CHANEL」というブランドが残っているように、ココ・シャネルの「個性」ともいえる「シック」は人々の価値観を覆し、なおかつ魅了した。

 

これが「世界精神(ヴェルト・ガイスト)型」であり、芸術家である。自分が信じた核心を、社会との接点を持ちえるようにすること。そのためのコミュニケーションを必死に模索すること。ココ・シャネルは、豪華絢爛が良しとされる社会に対して、自分の核心のために必死になって立ち向かった。

 

ちなみに小話として、偶然か必然か、ココ・シャネルが自分のブランドを立ち上げた頃、世界は第一次世界大戦へと突入する。第一次大戦は国力を総動員して戦う国家総力戦の始まりでもあり、フランスは豪華絢爛のベル・エポックから禁欲的な戦争時代へ変わった。女性も働きに出たので、装飾過多は自粛された。そこで、ココ・シャネルの「シック」が一大ブームを築き上げたとも言われている。

 

同時におもしろいのは、千利休のわび茶である。日本版「シック」ともいえる「わび数寄」が戦国時代の日本を席巻したのは、豊臣秀吉によって南蛮好み(ド派手)を禁止されたから、とも。また、さらにおもしろいのは、第二次世界大戦のあと、クリスチャンディオールが女性らしさを強調するコルセットを女性ファッションに復活させ、一時代を築いたことだ。

 

さらにいえば、わび数寄の千利休亡き後は、「織部好み」とも言われる、ユーモラスで珍妙なかたちの陶器が生まれた。「織部好み」を生み出した古田織部は、わざと器をふにゃんと、あるいはビシッと歪ませる。

 

クリスチャンディオール古田織部も、ココ・シャネルや千利休が世界に突き出した「質素」とは無縁だ。そういう時代の流れもあるのかもしれない。